当たり前な話、誰だって辛い思いなんてしたくありません。1度きりの人生で時間は有限。できれば毎日を楽しく、充実させて過ごしたい。仕事だって穏やかに働き、無用な衝突を避け、淡々と日々を終えたい。そんな人間同士なのに、「会社」という場所に集まると、ギスギスして不快感を覚える。辛さが生まれ、蓄積し、量産されていきます。
誰かが怒っている。誰かが我慢している。誰かが犠牲になっている。
不思議なのは、そのほとんどが最初から悪意を持っていたわけではないという点です。
なぜ会社は辛いのか。答えは、個人の性格ではなく「構造」にあると思うのです。
個人の問題ではなく「構造」の問題
会社は、感情の共同体ではありません。利益を追求するために設計された組織です。
- 判断は、上長や経営が行う
- 目標や方針は、上から降りてくる
しかし、実際に手を動かし、責任と負荷を引き受けるのは現場。そのため、判断と責任が分離されやすい構造だと言えるでしょう。これでは、どうしても立場の弱い人、逆らえない人、調整役になりやすい人に負荷が集中します。
誰かが悪いからではなく、そうなりやすいように設計されています。
私生活なら解決できることが、会社では解決しない理由
私生活であれば、違和感を感じた相手から距離をとったり関係を切る、もしくは会わない選択をするといった行動がすぐとれます。しかし会社では、そうはいきません。
- 権限は自分にない
- 手続きが必要
- 上司や組織の判断が介在する
- 勝手に距離を取れば「協調性がない」と評価される
結果として、問題があっても、すぐには動かせません。そして、我慢だけが積み上がっていく。この状態が続くと、人は「状況」ではなく「人」に原因を求め始めます。
人は悪くなりたいわけではない
誰も最初から意地悪になりたいわけではないはずです。
- 冷たくなりたい人はいない
- 他人を追い詰めたい人もいない
- 職場をギスギスさせたい人はいない
それでも、成果を求められ、余裕が削られ、立場を守らなければならない。そうした状況の中で、人は生き残るために振る舞いを変えていきます。
強く当たる人。見て見ぬふりをする人。責任を下に流す人。それは性格の問題というより、構造に適応した結果ではないでしょうか。
「人が悪い会社」ではなく「人を変えてしまう会社」
「あの会社は、人が悪い」という企業の口コミをよく見ます。しかし実際には、役割が曖昧で力関係が固定され、責任の押し付け合いが起きる。こうした条件が重なったとき、人は自然と歪んだ振る舞いをするようになる。
「悪い人が集まった会社」ではなく、「人を変えてしまう構造を持った会社」になっている。
誰も望んでいなかったはずの辛さが、仕組みの中で常態化していく。
辛さは、誰か一人の責任ではない
会社が辛くなるとき、人は原因を探したくなります。
- 自分が悪いのか
- 上司が悪いのか
- 同僚が悪いのか
しかし、構造を見ずに原因探しをすると、自責か他責のどちらかに振り切れてしまう。
自責に寄れば消耗し、他責に寄れば関係が壊れます。どちらも、状況を根本的には変えません。
構造を理解することは、諦めることではない
「構造の問題だ」と言うと、諦めや言い訳のように聞こえるかもしれません。しかし実際は逆で、俯瞰して構造を理解することで、不要な自責を手放せたり、現実的な距離の取り方を考えられることもあります。
すべてを変えなくていい。戦わなくてもいい。ただ、「なぜ辛いのか」を正しく理解する。それだけで、少し冷静さを取り戻すこともできます。
結論|辛さを個人に押し付けないために
誰だって、本当は辛い思いなんてしたくありません。それでも会社で辛さが生まれるのは、個人が弱いからでも、誰かが特別に悪いからでもなく、会社という構造が人にそう振る舞わせてしまうからです。
辛さの原因を自分や特定の誰かに押し付けないこと。構造を理解した上で、距離を取り自分の環境を変える準備をする。
どうか、辛い会社で壊れないための、現実的な判断を。
※もちろん、すべてが構造だけで説明できるわけではありません。意図的に人を不快にさせたり、業務と無関係な振る舞いで場を荒らす人がいるのも事実です。

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