「耐えられない自分が弱いのかもしれない」「結局は、自分次第なのではないか」そう考えた瞬間、世界の見え方は一気に変わります。
会社のやり方や、上司の判断、業務設計の歪み。それまで外側にあった問題が、すべて内側に引き寄せられ、「自分の問題」に書き換えられていく。
その瞬間から、問いはこう変わります。「この環境はおかしいのでは?」ではなく、「自分はもっと頑張るべきでは?」へ。
この思考の切り替わりは、とても静かで、自然で、気づきにくい。そして一度起きると、抜け出すのが難しくなります。
よくある自責フレーズ
多くの人が、無意識のうちに、こんな言葉を使っています。
- 「結局は自分次第」
- 「どこへ行っても同じ」
- 「逃げているだけ」
- 「耐えられないのは甘え」
一見すると正論で、成長論や精神論としても、もっともらしく聞こえます。
しかし、これらの言葉がどんな場面で使われているかを見てみると、少し違った顔が見えてきます。
- 業務量が明らかに多いとき
- 役割が曖昧なまま責任だけが増えていくとき
- 判断権限がないのに、結果だけを問われるとき
そんな場面で、この言葉たちは、問題の説明を終わらせるために使われがちです。
自責は「性格」ではない
自分を責めやすい人は、真面目で、責任感が強く、よく考える人が多い。
日本人は、
- 反省できることは良いこと
- 自分を省みる人は立派
- 他責より自責のほうが美徳
そんな教育や文化の中で育ってきました。
だから、うまくいかないときに「自分のせいだ」と考えるのは、ある意味で正しい反応。しかし、それは健全な振り返りとは別のものに変質している可能性があります。
振り返りは、次に活かすための行為。自責は、コントロールできないものまで背負い込む行為。
両者は似ていますが、役割はまったく違います。
なぜ「自分のせい」にしやすいのか
ここで、一度視点を外側に移します。
会社員は、基本的に決定権を持たない立場です。
- 方針は上から降りてくる
- 予算も配分も決まっている
- 人員配置も自分では選べない
それでも、現場では結果を求められ、成果が出なければ、評価が下がります。外側に原因があっても、それを変える権限がない。では、どこに矢印を向けるか。
一番安全で、一番手っ取り早いのが「自分」です。自責は、弱さではありません。選択肢が限られた中での、合理的な反応です。
「結局は自分次第」という言葉の正体
本来、「自分次第」という言葉は、主体性を促すためのものです。
しかし現場では、こう使われることがあります。
- 環境の問題を説明しない
- 業務設計を見直さない
- 人を増やさない
それでも結果だけは求める。
そのとき、「結局は自分次第」という言葉は、励ましではなく、説明放棄や責任転嫁として機能します。問題が制度や環境にあっても、最終的には「あなたの努力不足」に回収される。
これでは、思考が内側に向かうのも無理はありません。
「どこへ行っても同じ」は本当か?
転職したいと言っても「どこへ行っても同じだよ」と言われることがあります。
これは、半分は事実で、半分は嘘。
構造が似ている職場に移れば、同じ苦しみは再生産されます。しかし、構造が違えば、同じ人でもまったく違う状態になります。
問題は「あなた」ではなく、あなたが置かれている前提条件です。
自責と改善は違う
ここで、一度整理しておきましょう。
改善とは、自分がコントロールできる範囲を見直すこと。
自責とは、コントロールできない構造まで背負うこと。
改善は前に進むための行為ですが、自責は、動けなくなる思考です。
両者を混同すると、苦しさだけが残ります。
結論|あなたが弱いのではない
「本当にこれは自分の責任なのか?」と立ち止まり、構造に気づくことで、俯瞰して境界線をひく。
筆者は、自分を責めてきた人ほど、ちゃんと考え、向き合い、責任を引き受けようとしてきた人だと思っています。
問題は、あなたの性格ではありません。「自分のせいにさせられやすい構造」と、そこから逃げ場のない思考の流れにあると考えます。

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