「自分がやらなきゃ」と思う人ほど、損をする
働いていると「自分がやらなきゃ」と思ってしまう瞬間、ありますよね。誰かが困っている、締切が迫っている、上司が放っておけない。そんな場面で率先して動く人は、真面目で責任感がある人です。
その一方で、使命感に押されてあれもこれも請け負い、気づけば自分だけが業務過多に陥っていることも少なくありません。
「誠実さ」はしばしば誤解される。一度“任せておけば大丈夫な人”として扱われると、次から次へと仕事が集まり、いつの間にか他人の尻拭い専門の雑務処理班になってしまう。
あなたが「助ける」ことで、周囲は「任せる」ことを学んでいく。努力は、評価ではなく「前提」になり、いざというとき、誰も助けてくれない。
「助け合い」と「甘え」の境界線
職場で「助け合い」という言葉はよく聞きますが、その境界線は、とても曖昧です。
本来はお互いが補い合う関係のはずが、一方的に“助ける側”に立つ人が固定化されていく。
やがて、「あの人がやってくれるから大丈夫」という空気が生まれ、その空気が“構造的な搾取”を正当化していきます。
「自己犠牲」をやめることは、冷たくなることではない
自己犠牲をやめることは、誰かを見捨てることではありません。「自分の限界を知り、守る」ということです。それはわがままでも、無責任でもない。むしろ、長く働くための“健康な境界線”。
あなたが自分を犠牲にして働き続ける限り、職場は変わりません。「優しさ」によって支えられた構造は、その優しさが壊れるまで、何も変えようとしないからです。
「昔はもっと大変だった」という話
筆者の勤める会社は、地方の小さな中小企業です。創業期を支えた古参メンバーは、よく語ります。
「昔はもっと人が少なくて、みんな自分達で全部やってた。今は楽な方だよ。」
これは、会社の厳しい状況を制度や仕組みではなく、“人の負担”で回していたたというだけの話。誇るべき美談ではないと、筆者は思っています。
「昔はもっと大変だった。だからお前たちも、これくらいで気を揉むな。」
そう言われても、いまの環境しか知らない後輩社員には全く響きません。それは“経験の共有”ではなく、“苦労の押しつけ”だから。
犠牲ではなく、尊重で回る職場へ
あなたが抱えるその「やらなきゃ」は、本当は誰かが分かち合うべき“重さ”なのかもしれません。声を上げるのは勇気がいる。けれど、その声が、同じように疲れた誰かを救うこともある。
もしも「なぜ自分ばかり、この役割なんだ」と感じているなら、構造的な改善の声を上げることを恐れないでください。筆者自身“なぜ自分ばかり”と思う瞬間があります。伝え方に正解はないけれど、黙って消耗するよりは、不器用でも伝えた方がいいと思うようになりました。
その声は、自己犠牲ではなく、自分を守り尊重で回る働き方を選ぶための第一歩。
理不尽な職場を支えているのは、いつもあなたのような“いい人”です。でも、あなたが倒れても、会社は続きます。
だからこそ、自分を守ることが、あなたが許容して我慢してきたことを放棄する“優しさの終わり”ではないはず。それは、あなたの優しさを長く生かすための、いちばん現実的な方法です。

コメント