RIFUZINES管理人の自己紹介

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自己紹介

2025年現在、筆者は片田舎に住むサラリーマンです。中小企業で広報・PRとして勤務。

働く日々に疲弊してる、198⚪︎年生まれの40代。

管理人の来歴

筆者はいわゆる就職氷河期世代。大学を卒業し、夢を叶えるためにフリーランスとして活動を始めました。周囲からは「不安定」「無謀」と言われましたが、アルバイトとの掛け持ちからスタートして、29歳の頃には志した仕事で生活できるようになりました。
そのまま流れるように、30代後半まで夢の中で生きておりました。

そして40歳を目前に、将来への恐怖心へ襲われることに…そこから、人生初の遅い就職活動を始めることになりました。

地元・田舎での再スタート

2018年、契約先に廃業の意志を伝えました。自営の仕事を減らしながら、小売店のEC部門でアルバイトし、倉庫の派遣もかけもち。2019年に完全廃業となり、1年に及ぶ過酷なトリプルワークも終わりを告げました。

地元に戻り、社会人経験のない30代後半(男性)の再スタート。”心機一転”と言えば聞こえはいいけれど、実際は不安だらけ。就職したことがないというコンプレックスを抱えたままの就職活動でした。

しかし田舎では、年齢だけでアルバイトすら決まりません。3ヶ月かけてようやく採用されたのは、東京の企業が地元に出した飲食店のオープニングスタッフ。名ばかりの店舗責任者。アルバイトリーダーとして働きながら、もう一度社会の中に戻を開始。

コロナ禍とともに、再び無職へ

2020年、コロナウイルスの影響で店舗が撤退。筆者は再び無職となり、正社員として働く道を探し始めました。ECの経験を頼りに応募した小さな商社のEC担当に採用されましたが、実際の仕事は求人票とはまったく異なるものでした。

業務内容は「ECサイトの管理・運営」とされていましたが、PCを使う仕事はほとんどなく、実際には仕入れや倉庫での在庫整理が中心。その環境で、上司の罵声や無茶な指示を受ける毎日が続きました。

週休2日制と聞いていたものの、現実は仕事が捌けず、従業員全員が週6日勤務を強いられていました。筆者は次第に心身をすり減らし、毎朝出勤前に吐き気を覚えるほどになっていました。

入社から1ヶ月も経たないうちに退職を決意。退職を申し出た際、社長からはこんな言葉をかけられました。

「我慢できないか? お前を採用するまで求人広告に20万円かかってんだぞ。こんな短期間で辞められたら、こっちが我慢できねぇよ!」

理不尽。

“我慢を求められるのは、いつも働く側”


1ヶ月後、筆者は無事にその会社を退職。

デザイナーという新しい目標

人生初の正社員就職に挫折した筆者は、改めて自己分析を始めました。以前アルバイトでEC業務に携わっていたときのAdobeソフトに触れた経験。そこから”デザイナーになろう”と思うようになりました。

なぜ失敗するのか。なぜ不採用が続くのか。結論は単純で、”企業の求めるスキルがないから”。

もちろん社会は、年齢を理由に求職者をふるいにかけます。それが現実。けれど、社会そのものを変えることはできません。変えられるのは、いつだって自分の方。自分が変われば、目の前の社会の見え方も変わるのかもしれない。若返ることはできない。だからこそ、変えるべきは自分自身。

40歳、未経験。貯金を切り崩し、地元のWEBデザイナースクールに入学。約8ヶ月間でWEB制作を学び、Illustrator・Photoshopなどの扱い方を覚え、コーディングもできるようになりました。

しかし、卒業後の就職活動は惨敗。人脈も伝手も、ポートフォリオ(作品集)を作れるほどの実績もない。制作会社はもちろん、事業会社でも書類が通ることはありませんでした。

※企業は単にAdobeの操作ができる人を求めていません。操作できるのは前提であり、「どんな実務経験を持っているか」が重視されます。

それでも、生活のためにはお金を稼がなければなりません。筆者はクラウドソーシングに登録し、LPのコーディングやバナー制作、電子書籍紹介メディアの記事執筆などの案件を受け始めました。

1年間で得た報酬は31万円。生活は成り立ちませんでしたが、その期間内にクラウドソーシングで得た金額としては、それなりな気がします。

転職エージェントとの出会い

2023年、貯金を切り崩す生活に限界を感じて、再び就職活動を再開。

もう「職種」よりも「生活」を優先しようと思っていました。

そんな中、出会ったのが転職エージェント。

「私は、まともな正社員経験もなく、企業が求める実務経験もありません。御社の売上には貢献できないと思いますよ。」

そう伝えると、担当者は職務経歴書の添削を申し出てくれました。丁寧なテンプレートを送っていただき、それに合わせて職務経歴書を再構成。その時、厚生労働省が推奨している書式があることを知りました。無知…

転職エージェントから紹介された企業とはご縁がありませんでしたが、その書類をもとに直接応募した別の企業で、初めて書類選考を通過。面接で見せたクラウドソーシングの実績が評価され、事業会社のインハウスデザイナーとして正社員採用。

組織の中で見た現実

人生初の正社員。待っていた現実は、想像以上に古い体質の会社での生活。細かい社内ルールが多く、行動が制限される。有休を取るだけでも一苦労。

それでも、制作の仕事そのものは素直に楽しかった。クラウドソーシングで提案を重ねていた頃を思えば、給料をもらいながらデザインができるだけで十分にありがたかった。

入社当時は新規事業の立ち上げ期で、制作部は常に繁忙期。半年で役職手当がつき、年2回の賞与も支給され、スクールに通うために使った学費も取り戻しました。

しかし、2年が経つ頃には違和感が芽生えた。とあるトラブルをきっかけに、上司にも会社にも距離を感じるようになったのです。なんだか、呆れてしまった。

「この会社で歳を重ねていく自分を想像できない」

もう、正社員経験のない無職の筆者ではありません。40年以上続く事業会社の社員であり、役職もある。それでも、今の環境に居続ける理由を見つけられませんでした。

転職活動をした半年間で面接に進めたのは3社だけ。辞退と不採用を繰り返し、最後に出会ったのが現在の会社。職種はデザイナーではなく、広報・PR。面接の翌日に採用の連絡を受け、1週間後に内定を受諾。

RIFUZINS 創刊

現在も広報・PRとして働いている筆者ですが、少しずつではあっても、キャリアとして積み上げられている部分は確かにあります。けれど、その一方で理不尽や不条理の雨は止むことがありません。

どこで働いても、転職しても、その会社なりの構造と人間関係があり、違う種類の理不尽が待っていると感じました。終わらないトラブル、避けられない摩擦。ただ誠実に仕事をしたいだけなのに、なぜかその誠実さが邪魔になる瞬間がある。

仲間のはずが、いつの間にか競い合う関係になってギスギスする。それを責める気はなくて。結局、人はみな、自分を守るために働いているから。会社とは、そうした”自衛する人たち”が集まる場所なのだと気づいた瞬間、こういった場所に「平穏」という言葉は存在しないと思いました。

SNSを見れば、LINEには会社の愚痴に特化したオープンチャットがあり、X(旧Twitter)では、仕事に悩む声が絶えない。誰もが何かしらの痛みを抱えていて、自分だけが呼吸困難なわけではないのだと感じました。

社員が守りたいのは、自分の生活と心の安定であり、会社が守りたいのは、組織の安定と数字の秩序である。

社員は生きるために主張し、会社は回すために主張する。社員の「これはおかしい」は”自分を守るための声”であり、会社の「これが正しい」は”組織を守るための声”である。

構造が理不尽を生み、その場所で働く人たちが少しずつ消耗していく。この会社には、居場所がないと思えてくる。

そうした現実を、ただ嘆くのではなく、理解し、記録し、共有すればいいと思った。

ひとりの編集者として、”社会人が直面する理不尽”に特化したメディア、RIFUZINESを創刊します。

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