「ウチも欧米化しないといけないんだよ」
ある日の社内ミーティングで、筆者の上司がこう言いました。
「日本人って真面目に働くよね。でも欧米人から見ると要領が悪いって言われるよね。だから業務効率化は最優先。ウチももっと“欧米化”していかないといけないんだよ。」
たしかに、日本人の勤勉さは世界的にも評価されています。一方で、「効率が悪い」「要領が悪い」と言われることがあるのも事実です。
ただ、この言葉を聞いたとき、筆者の中には強い違和感が残りました。
その“欧米化”とは、具体的に何を指しているのか。そして、それは今の日本の会社で本当に実現できるものなのか。
日本の正社員は、そもそも「欧米」と別物
まず前提として押さえておきたいのは、日本の「正社員制度」は、欧米にはほとんど存在しないという点です。
欧米、特にアメリカでは、職務内容が契約で明確に定められ、その仕事をする人として雇われるケースが一般的です。契約内容や業績、事業方針の変化によって、雇用が終了することもあります。
これが、欧米に多いジョブ型雇用です。
欧米ではフルタイム/パートタイムの区分はあっても、日本のような「正社員=メンバーシップ」的な概念は一般的ではありません。
欧米型雇用の現実
- 雇用は不安定(突然切られる)
- その代わり、転職が前提の制度設計
- 職務ベースの採用
- スキル・実績の可視化
- 転職回数がマイナス評価になりにくい
- 同職種で横移動しやすい
- 「会社に忠誠を尽くしたか」より「何ができるか」 が評価軸
つまり、個人の不安定さと引き換えに、職務と市場が接続されているのが欧米型雇用です。
日本型雇用は「移れない代わりに、何でもやらされる」
日本の企業では、求人票に「担当業務」が記載されていることがほとんどです。しかし、問題はその後にあります。
入社前の求人票には、
- ○○業務を担当
- △△の企画・運用
- □□のサポート
といった形で職務が示されていても、実際に働き始めると、
- 担当外の業務も普通に任される
- 人が足りないところに回される
- 「総合職だから」という理由で業務範囲が広がる
- 本来の担当業務が後回しになる
といった状況が珍しくありません。
つまり、日本の正社員は「職務を限定されて雇われているようで、実態は総合職として扱われる」という構造に置かれています。そして本人の希望とは関係なく、担当業務が変わることがあります。
たとえば求人票の末尾に、【業務内容の変更範囲:当社業務全般】といった記載を見たことはないでしょうか。異動や配置換えは「最初から明示」されていなくても、制度上は起こり得るものとして組み込まれているのが実情です。
その結果、
- 自分がやりたいと思っていた担当業務から外される
- 専門性を積み上げる途中で別の役割を担わされる
- 本人の意思よりも「組織の都合」が優先される
といった状況が生まれます。
このように、日本の正社員は職務を基準に固定されて働くというより、組織の中で役割を調整され続ける存在として扱われやすい。仕事は「この業務をする人」に付くのではなく、「組織に所属している人」に、その時々で割り振られる。
これが、日本におけるメンバーシップ型雇用の実態です。
なぜ「なんでも屋」が量産されるのか
メンバーシップ型雇用の最大の特徴は、仕事の範囲が、契約ではなく空気で決まっていく点にあります。日本の正社員は、「この仕事をする人」としてではなく、「この組織に所属する人」として雇われます。
そのため、
- 業務の境界線が曖昧
- 「それ、誰の仕事?」が頻発する
- 断らなかった人に仕事が集まる
という状況が起きやすくなります。
そして一度、「あの人に頼めばやってくれる」「気づいた人がやればいい」「忙しいけど、あの人なら大丈夫」という評価がつくと、その人の業務範囲は際限なく広がっていきます。
これが、“なんでも屋”の始まりです。
できる人ほど、仕事が増えていく構造
仕事を断らない人・気づける人・処理能力が高い人ほど、損をする構造が生まれます。
- 仕事が早い
- 空気が読める
- 組織全体を見渡せる
こうした能力は、本来評価されるべきものですが、実際には、
- 仕事を振られやすくなる
- 雑務や調整役を任される
- 本来の担当業務に集中できなくなる
という形で、負荷として返ってくることが多い一方で、
- 「それは私の仕事ではありません」と言える人
- 気づかないふりができる人
- 最低限しかやらない人
能力の差ではなく、立ち回りの差によって負担が偏っていきます。
ただし、ここにはもう一つの現実があります。
自衛的な立ち回りができる人は、職場によっては 我儘・協調性がない・傲慢 と受け取られてしまうこともあります。
- 「なんで、あの人は仕事をしないのか」
- 「自分のことしか考えていない」
- 「チームワークを乱している」
上司や同僚から陰で評価を下げられる可能性もゼロではありません。
つまり、仕事を抱え込む人は消耗し、線を引く人は人間関係の摩擦を背負いやすいという、別の歪みも同時に存在します。
それでも結果として負担が偏るのは、個人の性格や意識の問題ではなく、「断ること」「役割を限定すること」が評価されにくい文化と、メンバーシップ型雇用の構造が重なっているからです。
この構造の中では、誰かが必ず空気を読む側か背負う側に回される。それが、なんでも屋が量産されていく理由でもあります。
なぜ、メンバーシップ雇用の構造は変わりにくいのか
メンバーシップ型雇用が厄介なのは、誰かが悪意を持って設計しているわけではない という点です。
上司は、
- 人手が足りない
- 成果を出さなければ評価が下がる
- 自分も上からプレッシャーを受けている
という状況の中で、「動ける人」「断らない人」に仕事を振る。
同僚も、
- 自分も余裕がない
- 波風を立てたくない
- 空気を壊したくない
という理由から、偏りを見て見ぬふりをする。
こうして誰も得をしていないのに、構造だけが温存される 状態が続きます。
結果として、
- できる人が消耗する
- なんでも屋が疲弊する
- 専門性が育たない
- 現場の生産性が下がる
という、本末転倒な状態が完成します。
それでも制度自体は「長く会社にいてくれる人を守る」「柔軟に人を回せる」というメリットを持っているため、簡単には手放されません。
「欧米化すれば解決する」わけではない
ここでよく出てくるのが、「じゃあ欧米みたいにすればいい」という議論です。
しかし前段で見た通り、
- 欧米型は、切られやすい
- クビになったら転職が前提
- 職務が固定される代わりに、保障は薄い
という 別の厳しさ を抱えています。
日本型が「移れない代わりに、何でもやらされる」構造なら、欧米型は「何でもやらされない代わりに、いつでも切られる」構造。
どちらが正しい、楽、という話ではなく、問題は、日本型の制度のまま欧米型の効率・成果・スピードだけを求める ことです。
- 役割は曖昧なまま
- 人は増やさない
- 成果は出す
この状態で「自己責任」「努力不足」を語れば、現場が壊れるのは当然。
メンバーシップ雇用の構造の中で、個人ができること
では、この仕組みの中で働く個人は、どうすればいいのでしょうか。
まず大事なのは、「自分が弱いから」「要領が悪いから」こうなっているのではないと理解することです。
私たちが抱えている苦しさは、
- 制度
- 文化
- 評価制度
が重なった結果であって、人格の問題ではありません。
その上で、
- 業務を言語化する
- 記録を残す
- 引き受けすぎない線を意識する
- 「全部は無理」と自分の中で決める
- 外の選択肢を知っておく
といった 小さな防衛策 を取ることが現実的。構造そのものを一人で変えることはできません。しかし、自分がすり減り切る前に、距離を取ることはできます。
メンバーシップ雇用の「闇」とは何か
メンバーシップ雇用の闇とは、「なんでも屋が量産されること」そのものではありません。
本当の闇は、断れない人ほど損をし、できる人ほど消耗していく状態が、善意や努力の問題にすり替えられてしまうことです。
責任を引き受けてしまう人が疲れていくのは、甘えているからでも、能力が足りないからでもない。
この構造の中で、ちゃんと責任を引き受けようとしているからです。
だからこそ、構造そのものを一人で変えるのは難しく、個人にできることには限りがあります。私たちにできるのは、
- すべてを背負わない
- すべてを期待しない
- すべてに応えようとしない
という、壊れないための線引きを意識することです。
メンバーシップ雇用の中で苦しんでいる人に必要なのは、「もっと頑張ること」ではなく、消耗しすぎないための視点を持つことだと思います。
まずは「自分の担当」と「引き受けた仕事」を言語化し、線引きの根拠を自分の中に作ることから始めてみてはいかがでしょうか。

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