会社が勝つようにできている社会
どれだけ誠実に働いても、最後に得をするのは会社側。
評価制度、残業、賃金、契約条件。どれをとっても、最終的な判断権は「会社側」にあります。社員はその枠の中で最善を尽くしているのに、報われない。それは、努力が足りないからではなく、仕組みそのものが“会社が勝つように設計されている”からです。
「会社と社員」は、契約上では“雇用関係”という形を取っています。しかし、実際には法的にも構造的にも、立場の非対称性が前提になっています。
「労働契約=指揮命令下での従属関係」
会社(使用者)は「命令権」「評価権」「解雇権」「情報の管理権」を持ち、社員(労働者)は「従属義務」「守秘義務」「成果責任」を負う。
形式上の“契約”ではなく、構造的な“上下関係”として機能しているのが実情。つまり、雇用関係とはもともと対等ではない関係性の上に成立している仕組みです。
会社は命令し、社員は従う。情報も権限も上に集中し、下の立場ほど選択肢が限られる。その結果、会社の中で“何が正しいか”を決める力も、すべて上に集まっていく。この構造そのものが、理不尽を生み出す土台になっています。
「対等」な立場は、契約を境に変わる
よく「労使は対等な関係」と言われますが、それはあくまで契約を結ぶ前――“求職者と企業”という段階の話。一度、雇用契約を交わした瞬間から、その関係は指揮命令の下に置かれる構造へと変わります。つまり、契約書にサインした時点で、すでに「会社が主導権を握る仕組み」に入っています。
“面接でいい事ばかり言われて、入社後に地獄に変わった。”
この、よくあるケースは、この仕組みから考えると当然。だからこそ、働く側も「選ばれる」だけでなく、「選ぶ」視点を持つ必要があると思います。
情報を握る者が主導権を握る
社員がどれだけ努力しても、会社が最後に勝つのは、情報と判断権が上に集中しているから。評価を決めるのは上司。給与を決めるのも上司。社員が自分の働きぶりをどれだけ説明しても、その情報をどう解釈するかは“会社側の裁量”にあります。
見えない評価が不信を生む
人事評価、査定、異動、昇給。どれも「決める側」が持つ情報が圧倒的に多く、「評価される側」は、その理由や基準を知らないまま結果だけを受け取る。これが「情報の非対称性」と呼ばれる構造です。
上司が「評価していない」わけではない。だけど、“どの視点で評価しているか”が共有されていない。そのブラックボックスの中で、誠実な人ほど不安になり、理不尽を感じる。
トラブルが起きても、会社が勝つ構造
評価だけでなく、トラブルが起きたときも情報と記録を握っているのは会社側。たとえばパワハラや長時間労働を訴えようとしても、録音データを残すことは難しく、出勤簿や勤怠記録を管理しているのは、会社です。
こちらがどれだけ被害を訴えても、「受け取り方の問題では?」「誤解があったのでは?」といった“受け止め方の話”にすり替えられ、最終的に「そういう見方もある」と曖昧に処理できるようになっている。
最悪の場合、反論の余地もなく「当事者に問題があった」と結論づけられてしまうこともあります。
その結果、事実がぼやけ、責任の所在が消える。そしていつも、会社が“正しい側”として結論を握ります。
情報の透明化が、唯一の防衛線になる
どんなに理不尽な構造であっても、「見えないもの」をそのままにしておく限り、何も変わりません。
会社が情報と権限を握る仕組みの中で、社員ができる唯一の防衛は、“自分の働きと事実を記録し、可視化していくこと”。日報、メール、議事録、勤怠ログ。それらは単なるデータではなく、「証拠」であり「働いた痕跡」でもあります。トラブルが起きたとき、感情ではなく事実を示すことができるかどうかが分かれ道になる。
理不尽に抗うには、怒りではなく記録。「感情的な訴え」ではなく「情報の整理」こそが小さな武器になる。誰かを責めるためではなく、自分を守り、理解を広げるための在り方です。辛いけれど、誰もが同じように“自衛しながら働いている”のだと思えば、少しだけ、見える景色も変わってくるかもしれない。
その小さな実践は、戦うためではなく、同じ不条理の中で生きる誰かと繋がる“知恵”になるはずです。

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